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写真2~6、平面図作成: 梓設計企画

プロジェクトのはじまり

 生まれ育った東京から長野県飯田市に引っ越してきたのは2020年5月のことだ。私がこの街で最初に魅了された場所は愛宕坂と呼ばれる場所だった。
 旧市街地である街の中心地が小高い丘にあるのだが、そのヘリにあるきつい坂のエリアだ。むき出しの土木が迫る土地にはヘアピンカーブの細い車道がのたうっていて、その周りに点々と家があった。バラックのようにつぎはぎされながら人が住んでいる家もあれば、割れたガラス戸から中が覗けるくらいの廃墟もあった。斜面の上の家は、半分浮いているような作りになっていて、自分の立つ地平が仮設的なものであることをまざまざと突きつけてきた。

 特に素晴らしいと思った廃墟の管理者と、まちづくり委員会などを通してコンタクトを取り、何か美術作品を作ることを考えていることを伝え、内見をするまでに至った。家主はなんと解体業を生業としていたが、この家はアクセスが悪く、古い石垣の上に立つため、車両の乗り入れも困難で、解体予算が大きくなることもあり手をつけられずにきていることを教えてくれた。彼らは美術にも理解があったため、他でもないこの場所で「価値を生み出す解体」を模索するのはどうかと提案した。「解体すること」と「制作すること」が入れ子になっている作品を作りたい。

 プロジェクト遂行について、会場1/3部分の家主でありプロジェクトのパートナーとなる竹原建材とビジョンの共有をした。金銭的には、まず全解体の作業費の見積もりを取り、プロジェクトとして通常とは異なる解体方法をとることで余計に発生する費用を助成金で支払うことに同意した。

 その後現場使用許可を取るために活動。橋南まちづくり委員会の協力もあおぎながら、会場2/3部分の家主さんとの面会にこぎつけ、現場調査と清掃についての同意書を取り交わした。同意書の作成には不動産契約の専門家のアドバイスを受けた。

 現場に入り、リサーチや、平面図の作成を試みた。3軒の家が入り組んだ形で連なっており、自身で作成した図面では辻褄の合わない箇所も出てきたため、改めて建築士による図面作成と家屋の調査を行った。天井裏の柱の番付などを見て、家の来歴に関わる情報がないか調べた。家の土台となっている石垣の状態も悪く、家が相当沈んでいることを確認した。また肥溜めの存在も確認した。

 3月19日にはメンターである毛利嘉孝氏とメンタリングを行った。市の協力で現場近くの会場を確保し、家主、解体業者、新聞記者、橋南まちづくり委員会、建築会社、飯田市職員同席のもと、対話を行いながらプロジェクトの方向性を模索した。メンターからのアドバイスとして、もっと家の来歴を探ってもいいかもしれないということ。また。マッタクラークと比較されることは当然あるだろうが、取り巻く社会環境が全く違うので、あまり気にしすぎないでいいのではないかということなどを話し合った。家の来歴については、家屋の2/3部分のオーナーが多忙であり、進めづらかったが、やはりそこは重要であることを再確認し、オーナーに迷惑をかけない形(建築士による家屋調査や周辺を知る第三者から情報を集める)で進めていこうと考えた。

 現場が急斜面にあることもあり、周辺の駐車場からのアクセスが悪かったため、使い勝手の良い作業場と駐車場を確保するべくリサーチを行った。現場近くのコワーキングスペースと交渉を行い、一部をスタジオとして使用し、駐車場も利用できる契約を結んだ。

プロジェクトのコンセプトメイキングのため、いくつかドローイングを行なった。

 また、家に残されていた洗濯機や、隣家の敷地に入り込んでしまっていた古タイヤなどのゴミを処理した。洗濯機の中には使用済みのおむつが残されていて、私はただ驚くだけだったが、作業員の方が「住んでいらっしゃった方が、ゴミ捨てのために坂を登れないほどお身体を悪くされていたのかもしれない」と話していて、自分の想像力の及ばなさを恥ずかしく思った。

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